私と純日記

ただの個人的な私の話

人には人の地獄がある

私の推しはこの一年を「地獄」と表現した。

「世の中がどんどん酷くなっていくのはそうなんですが、その世の中に居る全員から『死ね』って言われている感じです。こっちは何もしてないけれど、どんどん攻撃されていくような感じがある。前はなんとか頑張って希望を見出したり、何か抜け道が、前向きになる道があるんじゃないかと思っていた。生まれた最初の頃からどこか余所者感があったんです。自分の居る場所にずっと疎外感があったんですね。音楽を作ることでその距離が縮められるんじゃないか、自分が居てもいい場所を作れるんじゃないか、そういうコミュニケーションが取れるんじゃないかと思ってずっとやってたんですけれど、いくらいろいろな方法を試しても変わらないですね。自分が居ていい場所はないとわかりました」

中略

「結論としては『どうでもいい』というのが一番大きいです。世の中の全てが、心の底からどうでもいい」

https://www.gqjapan.jp/article/20250522-gen-hoshino-hype

この「どうでもいい」状態がマインドフルネスなのか、怒りを通り越した諦めという状態なのか、までは私にはわからない。わからないけど、この記事のURLを検索しただけでも地獄というキーワードの手触りを感じた気がする。

 

話は変わるが、この頃仕事がつまらない。つまらなさは、売上とかKPIとかそういう数字を追いかけることに非常に興味がなく、達成しても心が満たされないことに起因する。この部署で頑張りきれず、これ以上スキルを伸ばせる気がしないのも、だいたいがここに帰結する。

それに、これまでは信じられていた「よりよいサービスがよりよいインターネットに寄与する」という信念がいよいよ崩壊しており、そこを拠り所に維持できていたモチベーションの類も10年が賞味期限といったところか、と最近気付いた。

そんな状況でも、人生の8時間/日を仕事に当てざるを得ないため、別のあたたかな興味関心を探求し続けており、最近の興味ごとは「人間」とか「集団心理」とかそういうものになってきている。ただこれは、非常に興味深いが楽しくはない。

ちなみに身近な集団心理こと現在の自部署は、結構な人数がいるのにマネジメントがひとつも機能していなくずっと散り散りである。愚痴が同僚同士を繋ぎ止めている。

以前、ある心理学系の団体が主催する職場の心理的安全に対する講義を聴いたが、質問コーナーに入る前に先んじて伝えておきますが、という前置きのもと「リーダーのリーダーシップがない職場でメンバーのやれることはほぼない」という旨を説明されて、どうしようもね〜という気持ちになった。組織がうまくまわるように様々な仕組みや構造を考え実行しても非役職者が出来ることは限られていると実感していた時期だったので、余計にどうしようもね〜な気持ちをつのらせた。

ここまで自己効力感が失われながら仕事をしていると、人生の1/3がうまくいってないことになり、更に1/3の睡眠時間に対しても質が下がり、更に1/3の自由な時間がモヤモヤした気持ちで支配されクオリティも下がっていき、歯車が狂うとはこういうことなのだと思わざるを得ない。

転職を考える瞬間も増えたが、まだこの会社へのほどよい愛社精神があるため異動をすることで解決したい気持ちが大きい(部署の組織文化が特殊すぎて異世界だから)。といっても、社内の仕組み的に今すぐに出来るわけではないため、時を待つしかない。時を待つというのは私の苦手分野なので、じっとできずこうしてもがいている。

 

考えをこじらせていたときに、古本屋でたまたまこの本を見つけて読んだ。

読み始めたが、私には肌なじみが悪い内容だった…というのが正直なところだが、そう思うのは私がバカで無知側の人間だからなのかもしれない。善意や義理や人情みたいなものを大事にしたいあまり、自分でも思ってもいない言動が出てくることが最近よくある。あまりにも職場がぐちゃぐちゃだと、そういう嫌な自分が出てきてしまう。

人間はバカで無知で徹底した社会的生物なので、そのクセをよく理解しよい社会性がある環境を選んで生きましょう、というのがこの本から得た学びだった。

 

私は私なりの地獄を生き、推しは推しなりの地獄を生きる。つまり「人には人の地獄がある」これに尽きる。こんなクソみたいな世界では、地獄だと思えている方がヘルシーなんだろうと思う。それに、ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つからね。