仕事にて、前年度の査定評価がプラスにもマイナスにもならなかったことを受けて、自分はここからもっと頑張りたいのか頑張れるのかよくわからなくなったので今の気持ちを記す。
今の等級に割りを食う仕事もやってきたつもりで、KPIに好影響をもたらし、上司がこぼし続けている部署の組織課題の解決策を示し実行してもなお、プラスでもないしマイナスでもないですよ〜と突きつけられるのは、この人生においてこの時間を費やした自分としては切ない結果ではあるが、一方でまあ私のスキルってそんなもんですよねと妙に冷静な自分もいる。
客観的に分析すれば、自責にも他責にもしたいことが混ざり合っておりそれぞれに課題はあるのだけど、それはあくまで表層的な課題であって、より自分の深い部分と対峙したときに、私はもっと仕事で高みを目指して成長したいのか、成長を願ったら挫折せずに取り組めるだけの向上心はあるかどうか、向上心があったとてそれを阻害するような心の制御システムが私を邪魔しにかかるのではないか、というような、そのあたりが最近本当にわからなくなっている。
20代で休職したり納得感のないキャリアを歩んだ経験をしてきた人間からして、今の会社はあまりにも身の丈にあってない気がしてくる。そんなキモキャリアの持ち主でもこの会社に入れた自分をもっと褒めてやればいいのに、ずっと劣等感がついてまわる。この会社に入れたことが私のキャリアにおける最終ゴールであり、それ以上を望んではいけない(だってそんなキャリアを歩んできてないから)くらいのことを思っている気がする。だから、こんなに頑張ったのになの気持ちと評価面談を受けてまあそりゃそうだよなの気持ちがぐちゃ〜っとなる。
でもそれって…なんか歪んでないか?とは思う。自分が傷つかないようにきつく蓋をしている何かがある。
最近、前に取得したカウンセリング資格のスクーリングで一緒だった方のお願いで、模擬カウンセリングのクライエント役(カウンセリングを受ける側)をすることになり、実際に自分の悩みを聞いてもらうということを数回やった。話していて、やはり心の暗い部分についてはまだまだ明らかになってなく、それが自分を裏で操っているように感じていた。
カウンセラーは傾聴を通して心理的な見立てというものをするのだけど、特別に私の見立てはどうだったかを聞いてみたら、図星すぎたのか心がシャットダウンしていく気がし、この部分かーと実感した。その方からは「開けても開けても奥の方に残ってるマトリョーシカみたいなものですよね」と例えられて納得した。過去のカウンセリングでかなり開けてきたつもりだけど、まだまだ残っていることに絶望と希望少々といったところか。いつも話を聴いてもらうカウンセラーにまた聴いてもらおうかな。
過去の話をすると、大変おつらい経験を…と言われるのだけど、そのつらさは本人としては実感しきれない。この人生しか知らないし、つらかったのだという気持ちに頭まで浸ったら自発的に動くことが出来ない気がするし、つらくない人生の人を責めてしまいそうだからだ。鎧を着込んでいないありのままの自分というのは、こういう感じで生っぽくてしっかりした固形ではないから、過去の反面教師という名の硬い鎧で形成する必要がある*1。
評価面談からそんなに深く自分に潜り込まなくてもいいのに、バカ正直でまっすぐな自分は報われてほしいです、私によってね。