私と純日記

ただの個人的な私の話

来期管理職に指名されるんじゃないですか?への答え

もうすぐ4月で、年度末の今日このごろ出社していると、来期の体制や異動などを気にしてソワソワした人が定点観測出来る。来期どうなるんすかね、みたいな会話が自然と増えている。

最近、後輩何人かに管理職にならないんですか?と言われる。ある人には序列的に次は私なのではと推測され、またある人には部長や課長のそのムーブは匂わせだと思いますよと考察され、言われて初めて「えっそんなこと思われてたの」と驚愕する。個人の推測や考察を真に受ける気はないけど、私はキャリアのロードマップとして管理職をやる未来はあるのだろうか?を考えるいい節目になったので考えた。

 

考えた結果、もし打診されてもこの部署ではやらないかな〜というのが問いへの答えだ。実際打診されないと実感が伴わないし、かな〜で終わる。

女性である私、履歴書がカオスでブランクありまくりな私がこの話題を語るにあたっては「女性管理職」とか「マイノリティである私」みたいなキーワードを避けては通れない。個人的な問題や課題をどこまで自己責任で語るか、どこまで社会構造的なものに組み込まれてしまったのかを考えなければならない。考えてもわからない現状ではあるが。

私が勤めている会社は、日本全体平均から見れば女性管理職の比率はかなり高い。課長クラスの女性はかなりいる。しかしそれは他部署の話である。この部署で管理職のキャリアを初めたくないのは、自部署の管理職全員が男性100%比率で、身を粉にして働いてきた人たちで、10年以上その集団に身を置いており、男性のホモソーシャル集団特有の見えざる権力支配が存在し、彼らの部下(つまり私と私ら同僚)とのコミュニケーションの取り方も男性特有のホモソ的ノリで懲り懲りだと思っているから。

そんな中に、女性でありキャリアが彼らにとって特殊な私が飛び込むことがなぜ恐ろしいのかを社会構造的な視点で見てみると「私は絶対的なマイノリティだから」ということになる。「女性管理職の比率を30%以上にする」という企業目標をよく聞くが、この「30%」の比率はマイノリティが異質なものではなくなる比率なのだという。それ照らし合わせると、私が感じている恐ろしさは社会構造的な歪みが原因であるといえる(それが全てとは言わないが)。

ホモソ集団に迎合するか、ホモソ集団をぶっ壊せるほどのエネルギーを持ち合わせるかのどちらかがあって初めてうちの部署の管理職として仕事を果たせるのだ。でもそんな役割を(無意識に)期待されても、私はちっとも嬉しくないし、スタートラインがマイナスすぎて割に合わずつらい。どちらも無理すぎる。

ここ数日様々な本や知見をインプットして思ったけど、管理職ホモソ集団が存在する限り、絶対的マイノリティとして支配力を振るわれるか、ケア要員にされるか、自分らは変われないからお前が何とかしろと言われ続けるかの未来しか描けなかった。このホモソ集団が解体されるならもっと前向きになれそうだけど、そんな見えざる不快な構造に巻き込まれて管理職のファーストキャリアを始めるなら、今すぐでなくとも別の部署で信頼できる上司や環境と共に管理職になるロードマップの方がいいやという結論に至った。

 

 

そんなことを考える日の短歌はこちら。

1つめ。私の履歴書の話。これを自己責任として認識し努力をしつつも、資本主義の運営元である社会はSSRの会社を用意していないのでは?と思いたくなる若い頃のさまです。

2つめ。ミューズとして扱われる社会への絶望と憎悪、逆襲、それに弾丸は何発あっても足りねえのだろうと思います。