今年仕事を始めてから急激に活力がなくなり、今日に至っては気が緩むと泣きそうになるのでこれは大変よろしくない…と思わざるを得ず、午前中仕事をするのを諦めた。
仕事を諦め、数年ぶりにカウンセリングを受けるべきだという気持ちになり担当のカウンセラーさんの予約可能枠を見ると、今日1時間後に空いているとのことで予約する(オンラインのためそれが可能)。一通り話し終えると、私は大丈夫だろうなという気持ちになるから不思議なもんで、結局大丈夫だと言われたかっただけなのだと感じる。
この世は大丈夫感がいとも簡単に失われる。ぼんやりとした不安に包まれる。問題のひとつひとつが大した事ないと思いたいだけであって、そのひとつひとつはその人にとって大した事である場合が多い。正常性バイアスによって、大丈夫って思いたいだけなのかもしれない。
小さいと思っていた事柄ひとつひとつが私の心を蝕んでおり、他人から見たら「気にしすぎだし責任を負う必要はない」と安易に言えそうだけれど、そうやって問題を矮小化されても私の心はえぐられたままなのだ。その心に気付いてあげられるのは、私とカウンセラーさんと心の通っている友達だけなのだ。大丈夫じゃないと気づくことで、大丈夫のお墨付きがつけられるという不思議がそこにはある。
午後、今日は出社をせねばならない日でファシリのミーティングが2件入っているため、ずる休みするのを諦め仕方なく出社する。この活力のでなさを取り戻すように、意気揚々と中身のない話をする上司に噛みつき、上司のスキル不足によってチームが機能しないところに対して介入し頑張ろうとする私は非常に真面目で、こんな自分が救われる世界があってもいいのにと願うものの、この環境ではその未来を描けそうにない。
この組織は、私が大事にしたい価値観を相容れない文化であること、上司が圧倒的にマネジメントスキルがない上にコニュニケーションコストが高いこと*1などがちょっとずつ見え始めてきている。今すぐどうこうという話ではないが、これを判断材料に未来を考える必要があると思っている。
私の中の人情や思いやりみたいなものが支えてくれていたチームへのコミットの高さは、様々な要因によって低空飛行している。誰も搾取しているわけじゃないけれど、搾取されているような気持ちすらしてくる。様々事情を考慮する余裕がなくなってしまった。普通に仕事しているだけで良心がすり減っていき、豊かな人間でいたいがために働いているはずなのに、気づけば心の豊かさが死んでいる。ナンデェ