私と純日記

ただの個人的な私の話

20240817 憂鬱を急加速させる

最近職場のヘイトを目の当たりにすることが多くって、同僚たちがそれによって団結している感じを複雑な気持ちを持って眺めている。私はどっちにもいい顔して職場で立ち回っていて、同僚たちとは楽しくおしゃべりし時に後輩にやさしいフィードバックをしながら仕事をし、上司各位ともニコニコ雑談しほどよく媚を売り自分の仕事をアピールしながら職場で過ごす。

無理しない程度に自分にとって都合の良い状態を作っておくのも、自分の働きやすさを守っていくひとつのクレバーなやり方なのだと思っているが、人によっては八方美人のように写っているだろうなと思ったりする。

実際そういう私への悪口を人づてに聞いたことがある。若さゆえに、仕事の出来ないお前に言われる筋合いなどないのだが〜!と当時は思っていたが、本当は少し傷ついていた。そういう誰にでもいい顔しておく自分があまり好きではなかったからだ。今は割り切って、ある程度合理的かつ戦略的に立ち回っているだけだから、傷つくことに直接は紐づかないようになったが。

 

前日にまた上司との1on1で、上司と部下の立場が逆転するような対話になってしまった。上司が組織運営に関わる大事(であろう)なタスクを着手しようとせずいつまでも行動しない状況が続いていたことに対して、いつ頃やるんですか?と軽く聞いたことを発端に、考える時間がなくて〜とか、上司の上司に報告するのに自分がまとめなきゃいけなくて結構大変で云々みたいな、まあ理解はできるが御託とも取れることをぽつりぽつりと話出し、じゃあここから始めてみませんか?私も一緒にやりますから、と上司の行動を促すような話し方をしてしまった。

こういうとき「ま〜た1on1で立場が逆になっちまったぜ」みたいな気持ちになって、若干興奮気味に裏垢で愚痴ったりするのだけど、結局「こういうことが出来ちゃう自分」に酔っているだけなんだよな、と思って、急に冷めた目で自分を見て気持ち悪くなってくる。最初っから最後まで自分の味方でいてやれよ、と思っているのに実践出来ないところが、極めて人間的だなと思う。

自分のため、会社のため、社会のための3方よしの状態が好ましいと思って仕事をしている節があるが、最近は、このバランスが崩れて自分を監視し罰しようとする傾向が強くなっている気がする。

自分を罰しようとする自分は「社会情勢を鑑みて客観的に検閲した結果、自分の内省を促している」ともっともらしい仮面を被っているが、実はただ、あの日あのときに押し付けられた価値観と照合したら間違っていたから罰します、という幼稚な行動に過ぎない。でもやめられない。自分がいつまでも子供だなと思うのは、こういう幼稚な行動を止められないところなんじゃないかと思っている。

 

そんな小難しいことを考え始めたら止まらなくて、憂鬱で無気力な土曜日を過ごした。ゲームをしていても上の空、本を読む気にもならないし、自炊をする気にもならない。映画を見始めてもスマホSNS各種を眺めながら観てしまう。

夜、ここ最近しっかり節制していたのにバカ食いしたくなり、出前館でチキンカレーとナン、チーズボールを頼む。普段インドカレー屋に入ることがないからナンの大きさに驚愕し無理矢理食べた結果、真夜中にお腹が痛くなりトイレに籠もって脂汗をかいていた。

憂鬱が加速しているときに考えたこと、行動したことはろくなことにならない。憂鬱中に行った言動で人生でいろんなものを失ってきたのに、憂鬱は止まらない。

世界が、日本が、社会が、おかしいのだから、憂鬱になるくらいがまともなのかもしれないが、憂鬱を許してくれないこの世の中では、憂鬱中の言動は締め出されてしまうからつらいのだ、などと小難しいことを考えながら貴重な休日の1/2が終わっていった。