私と純日記

ただの個人的な私の話

20240623 私へ、誕生日おめでとう。小脇の絶望は元気にしてるかい。

今日は私の誕生日です。35歳から36歳になりました。自分が36歳になる世界があるとは思ってもいなかった。でも36歳になってしまったし西暦は2024年で年号が令和なのは不思議だなと、まるで平成からタイムスリップしてきた高校生みたいな気持ちでいる。

 

昨日美容院に行き髪の毛をピンクにした。本当は無難な色味にしようと思っていたけれど、まだこういうところで「はみ出ていたい」気持ちが勝ってしまう。年々派手な髪色は似合わなくなっている実感はあるし、友達にカット後の写真を撮ってもらうと年齢を感じざるを得ないのだけど、知ったこっちゃねえ、こちとら今が一番若いんだよみたいなアナーキーな自分が顔を出す。

帰り道にレンタルサイクルで自宅まで都合の良い最寄り駅まで走っていたら、普段乗り慣れていないタイプの自転車だったためにずっこけた。ひじに切り傷、脚に複数の青あざができた。そんな体で36歳を迎えた。

 

毎年部屋に籠もって、気分が沈まないカテゴリの映画やドラマ、お笑いなどを見て過ごすことにしている。外出しないのは自分以外の何かや誰かに振り回される要素を排除しているから。そういうところは歳を重ねてもまったく変わらないなと思う。

自分への誕生日プレゼントとして、今年はe.m.のネックレスを買った。ベビーリングをチェーンに通して身につけるようなネックレス。高いアクセサリーは誕生日に買うようにする習慣が30代になってからずっと続いている。

毎年、普段食べないピザやちょっとお高いハンバーガーなどを食べているが、そろそろこのイベントがしんどくなってきた。今年はドミノピザで一人ピザパを計画し、多分お腹がしんどいと思ってサラダをつけたけど、それでもなんとなく食べるのがしんどかった。明日に響くのが心配で胃薬を飲んだ。来年からはジャンクフード以外のごちそうを食べようと思った。

 

今年はマンションを購入したことが一番大きなイベントだったと思う。引っ越しを済ませても、引き続きおおごとだという実感はないのだが…。新居にはだいぶ慣れた気がするけど、内装も水回りの設備もそれなりにちゃんとしてて、なんだか自分のうちって感じがまだない。ちょっとしたホテルや施設にいるような気持ち。こんな部屋を買えたのだから自分ってすごいな、とも思うが。

10年前、心身共にぐちゃぐちゃで人生のどん底へカウントダウンを進めていた時期だった。9年前からはてなブログを書いていたけど(このブログと別で)、自分で抱えきれない絶望が私を飲み込んでいって、何もかも人のせいにしたくて、全部ぶっ壊れてしまえばいいと願っていてそんなことばかりが文章に残っていた。そして壊れた。あのとき壊してしまった代償として、当時なくしたものや、なくした代わりに得た絶望なども小脇に抱えて生きている。

とはいえ、小脇のそれらはだいぶ小さくなり、罪悪感も希死念慮パンドラの箱の中にうまく収まって、その箱が開くことも滅多になくなった。ほどよく会社で働き、ほどよく自分のめんどうを見て、ほどよく友達と付き合いながら、ほどよく贅沢をして生きていけている。これを奇跡とすら思うし、その反面で、いつかまたこういう穏やかな日常も終わるんだろうなという気持ちもある。

幸せを感じる度に終わりを意識するようになったのは、祖母がなくなってからだと思う。家族のことを考えると終わりの始まりという言葉が浮かんでくる。残念ながら、両親にろくに会わないことでパンドラの箱が大人しくしている節がある。家族の問題を見て見ぬふりをし続けられなくなったときに「終わる」のだろうと思っている。

小脇の絶望たちは、幼い頃から成長し続けじっと私を監視し、時に私を罰し時に他人を傷つけてきた。30代になりカウンセリングに時間と金を費やし、それらとの対話を重ね小さくなってくれた。なくなりはしなが、小さく穏やかにはなると実感出来たのが30代前半の自分グッジョブな功績だと思う。小脇の絶望は元気だけど、ちょっと老けて外に出るのが億劫みたい。

30代後半は、できる限り長く穏やかで心身共に健康的な日常を送りたいと切に願っています。